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インカ帝国は南アメリカの南西部に位置していた。インカとはその帝国の支配者を指す言葉であり、この帝国の正式名称はタワンティンスーユーである。これは「4つのスーユー(州)から成る土地」の意味だ。この名前は帝国が古くは、コリャスーユー、クンティスーユー、チンカスーユー、アンティスーユーの4つの地方に分かれていたことを強調している。クスコは帝国の中心に位置する首都だった。人口は合計500万から700万人で、範囲は南北5、000kmに及んだ。その強力な軍隊は射手、投石兵、槍兵、先端に石を付けた木製の棍棒を持つ戦士で編成された。 兵力は戦争の前に動員され、戦争が終わると解散された。当時唯一の正規兵はインカ帝国皇帝の私的な衛兵だった。
彼らは現代人が親しんでいるような形での文字は持たなかった。だが、伝達手段としてキープ(結節縄文字)を使っていた。キープの基本は中心になる紐に、何本かの細紐を結び付け、結び目を作るというものだった。結び目の数と紐の色によってさまざまな意味を表した。たとえば、赤い結び目は戦士を表し、結び目の数は兵力を表した。 彼らの歴史は文字で書き残されることはなかったが、口承による語りや伝承によって、帝国の歴史を伝えることができた。インカの神話によれば、太陽神の伝令であるマンコ・カパクと彼の妻がインカ帝国を建設した。皇帝は彼の姉妹としか結婚を許されなかったため、支配者一族の規模は当然、小さかった。マンコは人々に土地を耕作すること、比較的珍しい金属を採掘することを教えた。彼の妻は女たちに織物やその他の家事をすることを教えた。
初代の支配者が死亡した後、シンチ・ロカと彼の妻ママ・コカが国家を指揮した。彼らは南の土地を奪取することで、領土を広げることに成功した。第3代、第4代、第5代皇帝の治世のもとでも、南の土地を次々と支配下に納めて行った。第6代皇帝インカ・ロカはクスコから北東の土地の征服に着手し、第7代のヤワル・ワカクはタワンティンスーユーを南アメリカ最大の国家に育てた。それ以後の皇帝も作戦行動を実施し、帝国を強化し、規模を広げ続けた。第11代皇帝ワイナ・カパクは継承者を命名せずに亡くなった。 彼の長男、ワスカルが法律に従ってインカ帝国の新皇帝に就任した。ところが、その弟であるアタワルパは兄の皇帝継承権に異議を唱えた。それに続いて戦争が起こり、アタワルパは皇帝の座を奪い、13代インカ帝国皇帝の座に就いた。だが、彼の行動は巨大な帝国を衰退させ、征服者に奪われる隙を作り出した。

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