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15世紀にスペインは発展し、勢力を拡大し、政治力を獲得した。1492年8月3日、クリストファー・コロンブスは小型船3隻で西へと向かってパロスの港から出航した。この航海の結果、コロンブスは新大陸を発見するに至った。この遠征の最も驚くべき事実は、コロンブスには新大陸を発見する意図などなかったという点にある。彼が求めていたのは豊かな国インドへの新航路だった。コロンブスは彼の後援者たちに大量の金、銀、香辛料、奴隷をインドから持ち帰ることになっていた。それができれば、彼に融通された多額の資金の言い訳が立つからだ。 たとえば、スペイン女王イザベラは、この冒険の費用を捻出するためにダイヤモンドの付いた王冠を質に入れていた。アメリカの発見は開発の大きな可能性を開いた。
大量の金銀がスペインに流入し、スペインを最大の植民地主義勢力に育て上げた。スペインは北ヨーロッパに巨大な領土を所有しており、そこから容赦なく搾取を続けていた。だが、それは長くは続かない。オランダで反乱が勃発したのだ。アルバ公が指揮するかなり大きなスペイン兵力が反乱の鎮圧に派遣されたが、よく訓練されたオランダ兵力はそれに見事に対抗した。 イギリス、特にイギリス海賊はスペイン船を攻撃し、沿岸の町や商船を襲って略奪した。たとえば、1579年2月13日にフランシス・ドレークはガレオン船「ゴールデン・ハインド」号でリマの略奪を行い、スペイン船12隻と大量の財宝を奪い取った。
3月1日、彼はしっかりと武装されたスペインのガレオン船を攻撃してこれを奪った。この船には、銀26トン、金80ポンド、貨幣と装飾品13箱など、合計20万ポンド相当が積まれていた。この作戦行動により、ドレークはイギリス艦隊の海軍中将に任命され、ナイトの爵位を授与された。 海賊を懲らしめようとしたスペイン側の努力は全て無駄に終わった。海上から敵を退治するために、スペインはイギリスに向けて巨大なアルマダを派遣する。しかし、アルマダは途中で嵐に襲われて激しく痛めつけられ、最後にはイギリス艦隊によって撃沈された。これによりスペインの海上支配に終止符が打たれた。同時に、スペインは新世界における力も失い始めた。イギリスとフランスがアメリカ大陸の覇権争いに加わったのだ。

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